食育
食育(しょくいく)とは、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。2005年に成立した食育基本法においては、生きるための基本的な知識であり、知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの、と位置づけられている。単なる料理教育ではなく、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化についての総合的な教育のことである。
(Wikipediaからの引用)
食は、私が苦手に感じる分野のひとつです。
ウィキに書かれている食育が実際の現場では今どう取り組まれているのかはさておき、
私の幼少期は《好き嫌いをするな。なんでも残さず食べよ。》が一般的でした。
それに加えて、父親が超のつく早食い。
そして父と母の仲は良好とは言い難いものでしたので、
食事中にわいわい楽しく話ながら食べる…なんてことは皆無。
無言でひたすら食べる。そして私は苦手な食べ物が多かったので、
最後まで食べられずにひとりテーブルに残り、泣く…。
学校では、自校式でしたので
毎日温かい作りたての給食が出てきました。
(当時は給食センターの学校も多かった。)
でも、前述の通り、苦手なものが多い私は毎回減らすor残す。
おまけにクラスメイトで気管支の弱い子がいて、
その子がよく給食時にリバースしていたのです。
それを何度も見ていたら、カレーが食べられなくなりました…。
苦手だったものは、酢の物や苦みの強いもの。
あとは中途半端な味やちょっと変わった味付け。
豚肉のフルーツソース(季節により、オレンジやブルーベリー等変動)なんかはもう、
塩で焼いてくれればいいのに!!!と毎回思っていました(笑)
栄養士さんが考えた新作オリジナルメニュー!みたいなものが出るたびに
心は沈んでおりました…。
そして、麺と具材が混ざっているもの。
これはなんというか、例えばラーメンにもやしが乗っていたら
まず初めにもやしだけ全部食べます。混ぜません。
野菜たっぷりタンメンなんて頼もうものなら、
麺に到達する頃には伸び伸びです(笑)
今はもう大丈夫になっていますが、当時は焼きそばもイヤでした。
でも煮込みうどんは好きだったので多分調理の仕方なのだと思います。
生のトマトは食べられないけど、火が通っていれば平気、とかもありました。
(でもミネストローネはダメだった。)
カレーのときは白いごはんだけ食べていました。もうね、変な子(笑)
で、ですね。
食べられなくて怒られて、
無理やり口に入れても飲み込めなくてつらくて、
泣いても食べきるまで動くなと言われてひとりでずっと座り続け、
そんなことを何度も何度も繰り返してきた私は、
食=つらい
の方式になっていました。
1日に3回苦しい思いをする。
《好き嫌いは甘え》という考え方があったのだと思います、が、
甘えちゃいけないの…?(´・_・`)
成長のためにバランスよく食べてほしい、
という思いはその通りだと思うのですが
食って、一生続くもの。
だったらまず、食べることは楽しい、うれしい、という思いを伸ばしていくことが必要なんじゃないかなあ。
学校の中でいちばん苦痛な時間は給食でした。
食べること、残すことが恐怖でしたね。
前になにかで見たのですが、
芸能人のある御一家が、夕食に1時間も2時間もかける…とあって
もうびっくりでした。うち5分だもん( ;∀;)
料理を並べて、たくさんその日にあったことを話しながらつまむのだそうです。
ああ、家庭によって全然ちがうものなのだなと驚きました。
アレルギーじゃないんだから、ただの好き嫌いなんだから。
好き嫌いが多いことは恥ずかしいことなんだよ。
と、刷り込まれてきた私。
成長し、一人暮らしをし、自分で栄養を考え作るようになったら
好き嫌いなんて関係なくなりました。
昔苦手だったものでも食べられるようになったものもあるし、
別に食べられなくても、他の物で補うし。
急に食べたくなった時があって、酢のものも平気になりました。
好き嫌いだって、大事な感性だと思うのです。
それよりもやっぱり、食べることは楽しい。
食事の時間は大切な時間なんだ、という認識を育てて行くことが
なにより大事だと心から思います。
今でも人と食事を共にとることが、あまり好きではないですし
初対面だと全然食べられません。
食に関するトラウマのようないやな記憶が
たくさんありすぎてなかなか緩めていくことが困難です。
こんな大人にならないように楽しく食育をすすめていってほしいなあと願うばかりです。